大阪府立環境農林水産総合研究所

 

コラム「大阪産(もん)の歴史年表を作って ブドウを例に」文献リンク

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デラウェア・ジベレリン処理の開発史(抜粋)

※本コラムである細見総括研究員の筆者の私見も含む

国・大学・企業などの動向 他自治体の動向 大阪府(当研究所他)の動向 生産団体等の動向
1926
(昭和元)
黒沢(1926)が、稲馬鹿苗病菌による被害に化学物質が介在することを報告[田村1969]。      
1935
(昭和10)
薮田(1935)がジベレリンの名称を発表[田村1969]。      
1938
(昭和13)
藪田・住木(1938)が、ジベレリンの単離に成功[田村1969]。      
1956
(昭和31)

Radley(1956)が、ジベレリンが植物体に含まれる生理活性物質であることを報告。

※日本ジベレリン研究会(会長)発足[渡辺1964【大阪農業】)]。

※製薬メーカー(武田、明治、協和)で組織(会長は住木諭介博士)[食品安全委員会2018.p12]

     
1957
(昭和32)
おそらくこの頃から各種果樹へのGA(ジベレリン)処理効果を検討すべく、日本ジベレリン研究会が供試剤を国内の試験研究機関に配布。 北海道がGA試験着手
着手は国内初、但しキャンベルEやナイアガラの果穂伸長と貯蔵が目的[農林省1962]。
   
1958
(昭和33)
九州大学(村西1958・注1)がGAでのブドウ(デラウェア)の無核化を発表。
※九州大学や京都府の学会発表をもって、この年にGAによるブドウ無核化が実現したとされることが多い[元村1980]。

農林省の園芸試験場、福島県、山梨県、長野県、京都府がデラウェアGA試験着手[農林省1962]。

目的は果穂伸長だったが[板倉ら1965]、この時点で無核化に注目。

京都府、長野県もGAでのブドウ(デラウェア)の無核化発表[井上ら1958・注1]、[注2]。

大阪府もGA試験に着手し無核化確認[渡辺・奥田1959【大阪農業普及だより】]、[岩田ら1960a【所内報】]、[渡辺1964【大阪農業】]。

※ただし、この時点では処理果は小粒のため実用化は困難と判断。無核確認は九州大学や京都府と同時ながら、公表が府内向けで、1年後だったのが無念。

 
1960
(昭和35)
 

栃木県、岐阜県、奈良県、岡山県、広島県、島根県がデラウェアGA処理適期や結果枝の樹勢との関係の試験に着手[農林省1962]。

山梨県も同様の実用化試験を継続し、無核化と粒肥大を担保できる1回目・2回処理の時期や濃度を体系的に報告[岸・田崎1960・注3]。

※これを全国に先がけたデラウェアGA処理実用化の報告とみなすことが多い。

GA試験の第2段として、デラウェア以外の品種(摂津も)への効果、デラウェアでの処理時期と濃度、展着剤の効果、降雨の影響、果房以外への処理(バンド処理)などの研究に着手[農林省1962]。

長野県、山形県、神奈川県、山梨県、三重県、奈良県、石川県、大阪府、和歌山県など全国で試作始まる[注2]。

甲府では、すでに1回目処理適期の目安として展葉枚数が使われるが、処理が早すぎて花振い多発[甲府市ジベ処理委員会1978]。

1962
(昭和37)
  山形県がGA散布処理の有効性確認。山梨県が降雨後の再処理の有効性を確認、石川県が処理直後の高温乾燥の問題を指摘[農林省1962]。

昭和35年着手で、GA処理時期と無核化の関係がデラウェアと巨峰で異なること、最適な処理時期(※)と濃度、バンド処理効果、1回目・2回目処理の許容降雨など発表[農林省1962]。一連の所内報にもまとめる[渡辺ら1964、1965、1967【大阪府農林技術センター研究報告】]。

※精力的な取組で、この際に最適とした処理時期や濃度は現在とほぼ同じ

甲府で降雨による1回目の再処理が功を奏したが、再処理の目安(左記)を外れた処理でも有核が混入し、フェーン現象(高温乾燥)の影響が疑われる[甲府市ジベ処理委員会1978]。
1965
(昭和40)

農林水産省の園芸試験場が昭和35年着手の体系的研究で、GAに対する品種の反応性、デラウエアでの2回目処理法、許容降雨量など解明。

またデラウェア無核化メカニズムとして胚珠の異常を報告[板倉ら1965]

  GA試験の第3段として、開花期の天候の影響とその回避策の検討に着手。 甲府市の小倉氏が積算気温による1回目処理適期把握法を発表。山梨県で広く使われる技術となる[甲府市ジベ処理委員会1978]。
1966
(昭和41)
京都大学がGA処理によるデラウェア花粉の活性阻害を報告[杉浦・稲葉1966]      
1968
(昭和43)
九州大学がGAでのデラウェア核化のメカニズムの全貌を報告[村西1968]  

昭和41年着手で、低温管理や摘心で花房への養分配を高めることで、特に無核果の結実率を高め得ることを発表[奥田ら1968、小寺ら1969【落葉果樹試験研究会】]。

所内報でも報告[奥田ら1968、奥田ら1970、渡辺ら1970【大阪府農林技術センター研究報告】]。

 

注1)研究発表要旨(園芸学会昭和年33度秋季大会)

注2)果樹農業発達史 p.224-226 (1972.果樹農業発達史編集委員会)

注3)岸光男・田崎三男 ぶどうに対するジベレリン利用試験(第1報)デラウェアーに就いて(1960.農及園)